素晴らしきかなニッポン

知ってもらいたい日本のすがたを

日本と北欧諸国の比較

日本と北欧諸国は歴史的な背景

歴史の時代区分

北欧諸国:** 北欧諸国の歴史は、バイキング時代から始まります。中世にはヴァイキング航海や交易、ハンザ同盟による商業が栄えました。その後、国々ごとに異なる歴史的な展開を経て、近代においては福祉国家として知られています。

日本:** 日本の歴史は、古代から始まり、奈良時代平安時代には文化が栄えました。戦国時代を経て、江戸時代には平和な時代が訪れました。明治時代には近代化が進み、日本は帝国主義時代を経て戦後に復興しました。

 

宗教と文化

**北欧諸国:** 北欧諸国では、かつては北欧神話が信仰されていましたが、中世にキリスト教が広まりました。現代でもキリスト教が主流で、一方で古い伝統や儀式も一部で継承されています。

   - **日本:** 日本の歴史は、古代から仏教と神道が影響を与えてきました。仏教は飛鳥・奈良時代に、神道は古代からの土着の信仰として存在しています。これらの宗教は共存し、相互に影響を与えています。

戦国時代と封建制度

   - **北欧諸国:** 北欧諸国は、戦国時代や封建制度のような歴史的な時期を経て、近代に向けて発展しましたが、ヨーロッパの封建社会の発展とは異なります。

   - **日本:** 日本は戦国時代を経て江戸時代に入り、平和で安定した時代が続きました。江戸時代には武士や農民などの身分制度が形成され、独自の封建社会が根付きました。

近代化と戦争

   - **北欧諸国:** 北欧諸国は19世紀末から20世紀初頭に近代化を遂げ、中立政策をとりつつも、第一次世界大戦第二次世界大戦には様々な形で関与しました。

   - **日本:** 日本は明治時代に急激な近代化を遂げ、20世紀初頭には大日本帝国として拡大を試みました。しかし、第二次世界大戦の結果、連合国による占領下での復興を経て、戦後に平和憲法を採択しました。

 

これらの歴史的な違いは、それぞれの地域の地理、政治的状況、文化的背景に由来しています。

 

日本と北欧諸国の経済政策

福祉国家の概念と実践

   - **北欧諸国:** 北欧諸国は福祉国家として知られており、高い税金を課して社会的なサービスを提供しています。健康保険、教育、福祉などが充実しており、国民全体に対する社会的な安全網が存在します。

   - **日本:** 日本も一定の社会的なサービスを提供していますが、北欧諸国ほど広範な福祉国家の枠組みはありません。最近では、子育て支援や介護などに関して福祉政策の拡充が進んでいますが、北欧諸国とは異なるアプローチが見られます。

経済構造と産業構造

   - **北欧諸国:** 北欧諸国は高度な産業構造を有し、情報技術やクリーンエネルギーなどの分野で先進的な企業が存在しています。また、国内の中小企業支援も重視されています。

   - **日本:** 日本は製造業を中心とする経済構造があり、自動車や電子機器などの大手企業が主要な産業を形成しています。しかし、これにより景気循環の影響を強く受ける傾向があります。

金融政策

   - **北欧諸国:** 北欧諸国は、積極的な財政政策と金融政策を組み合わせ、景気の estering(促進)や雇用の維持に取り組んでいます。

   - **日本:** 日本も長らく低金利政策を維持しており、量的・質的金融緩和策を行っています。ただし、デフレーションの影響や人口減少による課題も抱えています。

労働市場

   - **北欧諸国:** 労働市場では労働者の権利や労働条件が重視されており、労使関係が協力的な傾向があります。柔軟な働き方も一般的です。

   - **日本:** 一般的には、終身雇用が重視され、企業との安定的な雇用関係が求められています。最近では柔軟な働き方へのシフトも進んでいますが、まだ北欧諸国ほどの柔軟性は見られません。

 

これらの違いは、歴史的な背景や文化的な要因にも関連しています。各国の経済政策は、その国の独自の状況や価値観に基づいて形成されています。

 

日本と北欧諸国は文化的な面で異なる特徴

社会の構造と価値観

   - **北欧諸国:** 北欧諸国では平等が重視され、社会構造が比較的平坦です。個人の自由や権利、公共の善などが重要視されており、社会全体が協力的な雰囲気を持っています。

   - **日本:** 日本の社会構造は比較的ヒエラルキーが強調されており、長老優先の価値観が根付いています。集団重視の文化があり、協力と調和が重要視されています。

コミュニケーションスタイル

   - **北欧諸国:** 北欧の人々は一般的に直接で率直なコミュニケーションスタイルを好みます。意見をオープンに表明し、議論を通じて合意を形成することが一般的です。

   - **日本:** 日本では、間接的なコミュニケーションが一般的で、相手の気持ちを読み取りながら遠回しに伝えることが重要視されます。敬語の使用も一般的です。

労働習慣

   - **北欧諸国:** 労働習慣は柔軟で、ワークライフバランスが重視されています。労働時間が短く、働き方に対する柔軟性があります。

   - **日本:** 日本では長時間労働が一般的で、終身雇用や忠誠心が重視されます。最近では働き方改革が進み、柔軟な働き方が求められていますが、変革は進行中です。

自然との関わり

   - **北欧諸国:** 北欧諸国の文化には、自然環境との調和が反映されています。アウトドア活動が盛んであり、四季折々の自然を楽しむことが一般的です。

   - **日本:** 日本も四季がはっきりしており、自然に対する感謝や季節ごとの行事が文化に深く根付いています。また、自然に対する畏敬の念も表れています。

 

これらの違いは、歴史、地理、社会構造、および文化的な背景から生じています。異なる価値観や習慣が、各国の独自性を形成しています。

居酒屋 あじひろ 新橋店

居酒屋とは

居酒屋は、日本の飲食文化において重要な位置を占めています。居酒屋は、リラックスした雰囲気でアルコールと共に料理を楽しむ場所として知られています。その歴史は比較的新しく、20世紀初頭にさかのぼります。

居酒屋の起源は、大正時代(1912年-1926年)に遡ります。この時期、日本では西洋の文化や様式が導入され、新しい飲食のスタイルが広がりました。それまでの日本の飲食文化は主に料亭や旅館などのフォーマルな場での食事が中心でしたが、大正時代になると、庶民が気軽に飲み食いできる場所が求められるようになりました。

居酒屋は、ビールや焼酎などのアルコールを提供しながら、手軽な料理を楽しむスタイルが特徴です。初期の居酒屋は、特に労働者階級やサラリーマンたちに人気を博しました。また、居酒屋は友達や同僚たちが気軽に立ち寄り、くつろげる場所としても重宝されました。

戦後、日本の経済が復興する中で、居酒屋の数も増加し、様々なスタイルやメニューが登場しました。居酒屋は、日本の社交の場としてだけでなく、新たな料理や飲み物のトレンドが生まれる場としても発展してきました。

現代では、居酒屋は日本国内外で広く愛され、多様なスタイルや料理が提供されています。居酒屋文化は、アルコールを楽しみながら、友人や同僚と気軽に交流するための重要な場として、日本の社会に深く根付いています。

あじひろの魅力

日本酒と魚が旨い店、しかもリーズナブル。接客は丁寧、メニューは独創的です。最後の出汁茶づけまで満足度が高い時間を過ごせます。東京に来たら、ぜひ行くべき居酒屋のひとつだと思います。

 さらに特筆すべきはランチ、これぞ東京の満足ごはんだ。焼き魚定食は値段も安いのに、小鉢が選べるしご飯もおかわりできて、しかも最後に出汁茶漬け。これがぜんぶ美味しい。こんなに満足できるランチ、そうはないですよね。

 大衆文化が好きなら、居酒屋ランチは試し損はありません。日本の居酒屋はチェーン店も沢山あって、どれも良い感じです。でもなんというか、マーケティングの枠に入りきらない、おもてなし哲学みたいな何かを感じたいなら、あじひろで食べてみて感じてください。。

 

東京都港区西新橋2-13-16 多田ビルB1

平日:11:30~15:00 / 17:00~24:00

土曜:17:00~23:00

祝前日:17:00~24:00

日曜祝日休み

とんかつ やまべ(山家)

とんかつは、日本の料理で、豚肉をパン粉で衣をつけて揚げた料理です。以下に、とんかつの歴史の概要を紹介します。

とんかつの歴史

  1. **起源となる料理の登場(19世紀末):**とんかつのルーツは、19世紀末にさかのぼります。当初、肉料理が一般的ではなかった時代に、欧米の肉料理が日本に導入されました。特に、カツレツ(カットレット)が日本に紹介され、これが後のとんかつの発展に影響を与えました。
  2. **カツレツの日本での普及(20世紀初頭):**カツレツは、肉を薄く叩いて衣をつけ、揚げた料理で、日本でも広まりました。これは西洋の料理文化が取り入れられた一例で、やがて日本風にアレンジされていきました。
  3. **とんかつの誕生(1920年代〜1930年代):**とんかつが具体的な形で誕生したのは、1920年代から1930年代にかけてのことです。東京・浅草の料理店「かつや」が、初めてとんかつを提供したとされています。この店では、当初は牛カツが主流でしたが、後に豚肉を使用するようになり、それが広まっていきました。
  4. **戦後の普及とポピュラリティ(1945年以降):**戦後、食糧事情の厳しい中でもリーズナブルでボリューミーな料理として、とんかつは人気を博しました。多くの食堂やレストランで提供され、日本全国に広がりました。
  5. **派生メニューと進化(20世紀後半以降):**時が経つにつれ、とんかつはさまざまな派生メニューが生まれるなどして進化しました。例えば、カツ丼(とんかつを丼ぶりに載せた料理)やカツサンド(とんかつをパンで挟んだサンドイッチ)などがあります。

現在では、とんかつは日本国内外で親しまれる料理となり、多くのレストランやファーストフード店で提供されています。

山家(やまべ)の魅力

日本の定食屋でよくみられる抜群のホスピタリティが、ここ山家にもあります。値段は高くないのに客に満足感がのこる食事。「おもてなし」のなせる業です。過剰なサービスはない、お客もみんな黙って食事をする、各人がとても気持ちよく。レストランとしての高い完成度。

 肉厚でボリュームがある、付け合わせはキャベツ、おしんこ、味噌汁、たったそれだけ。ころもは軽く、油はしつこく無い、旨い。清潔な店内はいつも満席で、食べ終わったら速やかに退出、またすぐに次の客が入るわけだ。女将は常に笑顔で気配りを欠かさず、たとえば、お茶が空になることがない。

 これなら安いと誰もが思い、そして実際のところ非常に安価である。並んで待つのも仕方ないだろう。寒空の下、暑い夏の日、それでもここのとんかつが食べたいのだ。日本の定食屋は間違いなく世界に通用します。日本に来たら、ぜひ行ってみて。

 

東京都台東区上野4-5-1

11:00~(L.O.15:00) 17:00~(L.O.21:00)

立ち食いそば かめや

東京には数多くの蕎麦屋があります。その中でも安くて早くて旨い、立ち食いそばに焦点をあてました。

立ち食いそばの歴史

  1. **戦前のそば文化**: そばは古くから日本で親しまれていましたが、特に江戸時代になると、庶民の食べ物として人気が高まりました。当時は、そばは立ち食いよりも座ってゆっくりと楽しむものとされていました。
  2. **戦後の変革**: 第二次世界大戦後、日本は復興期に入り、社会や経済が変革されました。この時期になると、手軽でリーズナブルな食事が求められ、それに対応する形で立ち食いそばが台頭しました。
  3. **高度経済成長期**: 1950年代から1960年代にかけての高度経済成長期において、都市部での仕事が増加し、働く人たちの時間が限られていたことが、立ち食いそばの需要を後押ししました。立ち食いそばは、迅速に食事を済ませるための手軽な選択肢として重宝されました。
  4. **ファーストフード文化の発展**: 1970年代以降、ファーストフード文化が急速に広がりました。これに伴い、そばだけでなく、ラーメンやうどんなども含めたさまざまな麺料理が、立ち食いスタイルで提供されるようになりました。
  5. **現代の立ち食いそば**: 現代でも、都市部や商業施設などで立ち食いそばの店舗が見られます。忙しい生活を送る人々が手軽に食事を摂るための選択肢として、また観光地などで観光客が手軽に地元の味を楽しむための手段として、立ち食いそばは根強い人気を誇っています。

かめやの魅力

新宿思い出横丁の本店は、昭和風情そのままに絵になる佇まいです。新橋や神田、御徒町にも店舗を構えています。

最大の魅力はしっかりとしたカツオだしです。東京の立ち食いそばはどこも美味しいけど、かめやのツユは本格的です。リーズナブルな立ち食いで、この風味を出すのはさすが。

天ぷらとか温泉たまごのトッピング、これも丁寧に作っていて美味しいです。特筆はお稲荷さん、この大きさでお安くて満足度が高いのです。

日本に来た外国人に、ぜひ食べてもらいたい。あんなに狭いお店で、あんなに美味しい本格的なそばを、あんなに安く手軽に食べられるなんて。きっと感動しますよ。

 

東京都新宿区西新宿1-2-10

月~土曜 24時間

定休日:日曜日

天ぷら いもや

天ぷらは、日本の伝統的な料理であり、揚げ物の一種です。天ぷらは、海老、野菜、魚などの食材を、特製の衣で包み、油で揚げて作られます。その歴史と魅力についてご紹介します。

天ぷらの歴史

  1. **起源と発展:** 天ぷらの起源は江戸時代にさかのぼります。最初に登場したのは、ポルトガルの伝統料理である「ピスカード」に由来しているとされています。当初は魚を使用していましたが、次第にさまざまな食材が取り入れられ、進化していきました。
  2. **江戸時代の変遷:** 江戸時代には、屋台や料理屋で広く提供され、一般の人々に親しまれました。また、江戸時代には、江戸前天ぷらというスタイルが確立され、これが現代の天ぷらの基本スタイルの基盤となりました。
  3. **近代の展開:** 明治時代以降、天ぷらは日本国内外で人気を博し、様々な食材の組み合わせや調理法が生まれました。現代では、天ぷらは高級料理店から屋台まで、幅広い場所で提供されています。

天ぷらの魅力

  1. **サクサクの食感:** 天ぷらの特徴的な衣は、薄くてサクサクとした食感を生み出します。外はカリッと中はふんわりとした食感が楽しめます。
  2. **多彩な食材の組み合わせ:** 海老、野菜、魚、貝類など、さまざまな食材が天ぷらに使われます。これにより、様々な味と風味が楽しめます。
  3. **軽やかな味わい:** 油で揚げられることで、食材の旨みが閉じ込められ、軽やかで美味しい味わいが楽しめます。
  4. **季節感:** 季節ごとに変わる旬の食材を使用することが一般的で、季節感を味わえる料理として人気です。
  5. **ダシとの相性:** 天ぷらは、出汁やタレとの相性が良く、これらの調味料を使ったバリエーションも楽しむことができます。

天ぷらは、その歴史と魅力から日本国内外で親しまれており、その独自の調理法と美味しさが多くの人々に愛されています。

いもやとは

知る人ぞ知る、天ぷら屋の名店です

安くて旨くて日本の文化を感じる場所、それがいもや

いつ行っても並ぶんですが、40分くらいなら待った方がいい

大将と女将だけで切り盛りする店内は、狭いが清潔そものも

出てくる料理は、日本のこころそのもの、これぞおもてなし

ここが凄いのは店が良いだけじゃなくて、お客のマナーが素晴らしい

食事中は余計なおしゃべりをせず、料理を味わう

順番を守って、次の人にも気持ちよく食べてもらう

こんな気遣いが自然発生するレストランは、世界でもここだけ

日本ていいな、東京はすごいな、と本当に思う特別な場所です

 

メニューは天ぷら定食のみ

追加でナスや季節の天ぷらを注文できます

ごはんは大盛り無料です

 

東京都千代田区神田神保町1-32

築地

築地は、江戸時代に海を埋め立てて築かれた町。外国人に人気なのは、古き良き、ユニークな日本が残っているからだと思います。

築地の歴史

年表は1657年から始まっていて、まだ江戸時代なのに海の上に町を作った技術の高さに驚きます。江戸城にも近く、武家屋敷が立ち並び、文化的な城下町として発展しました。

意外にも、築地には外国人居留地がありました。横浜や神戸が交易中心であったのに対し、築地は医者や教師が集められました。探してみると、〇〇学校発祥の地記念碑がたくさんあります。

明治時代に軍の近代化が始まり、築地は海軍発祥の地となります。勝海舟率いる軍艦操練所(1862年)。そしていま、勝鬨橋をくぐるのは、松本零士デザインの水上バス「ホタルナ」です。

昭和から平成にかけて、築地の役割は物流になりました。日本中のマグロがここ、東京の台所、築地市場に集まります。2018年に豊洲市場が開設されるまで、築地は世界最大級の魚河岸だったんですね。

築地のみどころ

築地はTSUKIJIとなって、食のブランド街となりました。市場本体は豊洲に移ったものの、プロ向けの品揃えは築地のバリューとして残っています。小さく狭く、気軽に散策できる規模感もいい。

食事のおすすめが本願寺にあります。清潔でおしゃれなカフェで、散策の疲れを癒しつつ、18品目の朝ごはんや、その他スイーツなどが楽しめます。

築地場外の喧騒から離れて、明石町の方面へ歩いていくと、昭和な食べ物屋さんが点在しています。たとえば、とんかつ「かつ平」、天ぷら「天理」などなど。地元ご用達は間違いなくいい店。

腹ごしらえをしたら、聖路加ガーデンの裏手にまわって、墨田川を散歩。春はサクラ並木、夏でも海からの涼しい風、秋と冬はイルミネーション。江戸の風情が見え隠れする築地、最高です。

上野

江戸城の北東は鬼門と言われていました。上野や浅草に大きな寺が建立されたのは、京都を比叡山延暦寺が護っているのと同じ理由です。不忍池は、京における琵琶湖に見立てられています。

上野の歴史

上野の歴史は、徳川幕府と共に寛永寺として始まりました。寛永寺には徳川将軍が6人も埋葬されていて、住職は代々の出家皇族、幕府の守護寺でした。江戸幕府なきあとも、上野は発展していきます。

戦前の上野は復興の象徴でした。関東大震災。M7.9の大地震は10万人を超える死者を出します。でもその後、見事に復活した上野は文化の爛熟期を迎えたのでした。

そして戦後、もう一度たちなおった上野。水田と化していた不忍池に豊かな水が戻り、闇市アメ横の母体となり、動物たちも帰ってきた。平和の象徴、パンダ。上野は何回も復活するタフな町なんです。

先進的な取り組みも上野の魅力。大正時代には不忍池ウォーターシュートが設置されました。今はなき日本初のモノレールは1957年開業。北の玄関口は憧れの町だったのです。

上野の面白いところ

外国人にも人気がある路地、アメ横。わずか500メートルの狭い中に400もの店があると言われています。雑多な空間に呼込みのダミ声という、あのカオスな世界観が素晴らしいです。

上野はまた、芸術・文化の地でもある。芸術大学もあるし、複数の美術館と博物館、もちろん動物園。毎日、上野のどこかで世界的な作品が紹介されています。それに庶民派。会社帰りにちょいと立ち寄れる。

会社→美術館→居酒屋。こういう生活ができるのが、上野のいいところ。飲み屋も立ち飲みだったり、路地裏のテントみたいなお店だったり、バラエティに富む。あちこちに飲酒可能なお店があります。

日本人に親しみやすい町だから、外国の人も興味を持って訪れてくれる。上野は浅草にも近い。観光都市として十分な魅力がある。これからの発展に大きく期待している町の一つです。